日別アーカイブ: 2019/01/11

紙一重

どうしても譲れない信念があるとします。

だけどその考え方が万人受けしない、あるいは共感できない人間が多い場合
「我儘」「頑な」とバッサリ切り捨てられたり
「あの人は変わっているから…」と理不尽な烙印を押されてしまう。

「小さな声にも耳を傾けて…」という言葉を耳にするようになったけど、
状況は昔も今もちっとも変わっていない。
人間社会って結局は多数決かトップダウン(鶴の一声)が大勢を占めていて
マイノリティは抑え込まれ、沈黙するしかなくなる。。。

結局、長いものに巻かれちゃうんだよな…
だってそのほうが楽だから。
何も考えず、何の責任も持たず、だけど不満だけは一丁前に言えるから。

そんなことを考えているうちに、ふと小学生の頃の出来事を思い出しました。
ああ…無神経だったよな…と今なら思えるんですけど。

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

修学旅行先に有名な神社があり、コースにも組まれていることを知った
同級生の子が言った一言。

「鳥居は絶対に潜らない。強制されるなら旅行に行かない。」

その子はキリスト教徒でした。
長崎とはいえ佐世保はクリスチャンが多いというわけでもなかったようで
(長崎市内や離島は多かったかな…あとは特定地区に集中する感じ?)
私のクラスでキリスト教徒はその子だけでした。
宗教に関する知識が乏しい年代でもあり(少なくとも私は…ーー;)、
みんなで寄ってたかって無責任な言葉を浴びせたと思います。
「宗教施設と思わなきゃいいじゃん?」
「(お参りは)勉強の一環でしょ」
「1回くらい大丈夫じゃない?神様も分かってくれるよ」
最終的にはその子の親が出てきてちょっとした騒ぎになりました。
旅行には参加していたので解決(あるいは納得?)したのだと思いますが
当時は理解できなかったし、頑固だよな~とすら思っていましたっけ…

★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆ ★

この記事を書くにあたり同様の悩みがあるかWEBで調べたところ、
結構な数がヒットしましたし、考え方も様々のようでした。
あの子のように「ほかの宗教施設には行けない」と思う方もあれば
「参拝しなければOK」「自分の心の置き所の問題」という方も。
「相手の宗教に失礼だからNG」という考え方もあるんですね…

同じ宗教を信仰する方でもこれだけ解釈が違うのならば
いろんな場所、場面で自分とは違う見解が出てくるのは当たり前。
だけど自分の主張こそが正しいと思う気持ちが強すぎて
時には相手の人格も存在すらも否定してしまう。

私は我が強いから、多分「どちらの側」にも立ったことでしょう。
今は「理不尽な扱いを受けている」ターンなのかもしれません。
だからといって納得しているわけではないし
解釈次第では法律違反とも取れる以上、曲げるつもりもないし。
(詳細を書くわけにはいかないので意味不明で申し訳ないですが)
ただ
「気持ちは分かるけど従った方が良いよ」
と言われたことはショックでした。
ウラヨミすれば「従わなければ立場が悪くなる」ということよね?
それってもはや…

いやいや。
これ以上はやめましょう。

私の「信念」は果たして我儘なのか?
まあ…変わり者であることは否定しませんけどね…
もう少し観察することにしましょう。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。