無題

私は死んでもいいんだそうです。
兵庫在住の知人からはっきり言われました。
あの言葉は単なる「会議上での戯言」であって公式な見解ではないのに
マスコミが悪戯に騒ぎすぎて大袈裟にしただけだからって。
 
知事として参加していた席での発言なのに「公式見解」じゃないってどういう意味?
 
あの会合はたまたま各地の知事が揃っていただけの私的な集まりで
それを勝手に覗き見たハイエナたちが面白おかしく囃し立てているってこと?
それなら「公的見解じゃない」と言われても納得できるけど… 
そういう問題ではないよね?
 
ものすごい温度差を感じてショックを受けました。
 
私が言いたかったのはホンネを語る・隠すの問題ではなくて
公人が人の命を天秤にかけるような発言をしていいのか?ということ。
たとえ私的な会合での発言が漏れ伝わってきたのだとしても、
人の生活を預かる立場にある人間が言っていい言葉とは思えないのに。
 
そう言ったつもりだったのに、結局伝わりませんでした。
つまり…私は死んでもいいのね…?
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コメント

  • ろん  On 2008/11/17 at 22:29

    意図的に過激なことを言って注目を集めることで、議論を提起することはよく行われます。しかし、前幕僚長の件とか、前国土交通大臣の件とか、最近のそれは、“自爆”レベルで、議論の本質にいたらないケースが多いですね。公人は、もっとも言葉を大事にしなければならない立場にあるはずなのに、当事者にとっては、あまり深く考える対象にはなっていないのでしょうか?ほんと、軽すぎます・・・。

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  • がんちゃん  On 2008/11/21 at 11:20

    ☆ろん様
    お返事遅くなってすみません…
    最近、仰天発言のオンパレードにすっかり慣れきってしまった感があります。
    つい先日も麻生総理がお医者さんに対してトンデモ発言をしていますし…
    人間ですからどんなにおエライ方でも失言はあろうかと思います。
    でも、最近の発言は人格を疑いたくなるようなものも少なくないなぁ…と。
    ましてやそれが国民・住民の生命や生活を預かる立場の人間から出たとなると
    国民や住民が不安を募らせ、政治などに不信を抱くのも致し方ないことでしょう。
    物騒な事件が続いているだけに、先行きが暗いように感じてしまいます…
     
    兵庫県知事の“チャンス発言”を聞いて真っ先に思い浮かべたのは
    「原爆投下はしょうがない」(いわゆる“久間発言”)でした。
    確かに、結果論でいえば原爆投下が終戦を早めたかもしれませんが
    だからといって原爆投下が終戦のために必要だったとは思えないし、
    そのように解釈されかねない発言は大臣として問題だったと思います。
    今回はまだ起こっていない出来事ではありますが、多大な犠牲が出る
    ことを待ちわびているかのような発言で大いに不愉快でした。
    この2件について、もし、私が長崎出身で関東在住だから過剰反応したと
    お思いになる方がいらっしゃったとしたらあまりにも心外ですし、残念でなりません。

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